ルーミアさんなのだー

 アンティークの魅力は、語りきっても余るほど奥が深い。アンティークは失われた芸術の結晶であり、芸術品だと思う。
 アンティークの魅力を語れ?か。アンティーク愛好家によって魅力の感じ方は大きく変わるだろう。だから、語りきっても余るほど奥が深いのだよ。
 僕は未熟者で、アンティーク愛好家になって日が浅いものだ。半人前が語っても骨董品に失礼だろう。
 だが、語らせてもらおう。一人でも魅力を分かってもらうために。

 アンティークとは、失われた当時を物語るタイムカプセルであり、芸術品としての側面も見せる素晴らしいものだ。
 アンティークは予算の関係や、職人が全員いなくなったことなどにより、廃れたものが多い。
黎明期の素晴らしき魅力を
 木製シャフトの鍛造ピッケルを例に見ていこう。(ピッケルはツルハシみたいな登山用具で、滑落した時に命を救う命綱だ。)
 昔のピッケルは持ち手が木、杖として突く所(石突)と、持ち手(ブレード)は鉄でできていた。時代によるが、長さは非常に長く、成人男性の半分の長さはあった。だが、雪山で折れたピッケルのブレードが、喉や胸に突き刺さる事故が多発した為、次第に廃れていった。そして、1970年代には、かじやが次々と潰れ、零年代には、二村善市のピッケルを始めとして、数戸の鍛冶屋を残し、完全に消滅した。
 ダマスカス鋼や古刀が作れなくなったように、ピッケルの製鉄技術も数十年後には消滅するだろう。「いや、もう消滅したのかもしれない」。
 
 当然、今のピッケルは、全てが鋼でできた、非常に信頼性と実用性の高い代物である。

淘汰サレシモノ、生き残ッタモノ
 
 黎明期のピッケルの様な需要のないものは淘汰される。それは、ヴィクトリア時代の装飾品も同じ。
 中世に盛んに使われた、羊革紙も、一人の職人を除き、廃れてしまった。
 これらの骨董品を作る工程は、もう二度と見ることはないだろう。
 この世には、骨董品が減ることはあっても、増えることは二度とないんだろうな。
 そうした骨董品がこれ以上減らなくするために、いつまでもきれいな状態を保たせるために、アンティーク愛好家は、今日も骨董品を磨き上げる。

塹壕戦 works (2)