画商たちの世界史
19世紀のフランスは、絵画史的に重要と思うが、
絵画だけでなく、当時の情勢、世界史にも
注意してみよう。
ルイ・ナポレオン。
1848年の2月革命。
その後、ナポレオン三世となる。
ルイ・フィリップも存在するので、
混同しないようにしたい。ルイ・フィリップについては、
別途述べたい。
ナポレオン三世は、中国にも進出したそうだ。
時系列的には、1840年がアヘン戦争だから、
英国が清に進出しているのもわかる。
英国の方が、産業革命が早いが、
フランスも、18世紀末の革命をかわきりに、
英国を追いかけたのだろう。
ただ、ナポレオン三世も、普仏戦争に負けて
失脚する。
ナポレオン二世というのは出てこず、
彼は甥にあたるそうだ。
フランスの民主主義は、むしろ
19世紀を通して発展したといえそうだ。
第一次世界大戦についても、今後言及したい。
フェルメールの回を見たところだが、
オランダ絵画がどれだけ知られているだろうか。
オランダはどうも、世界史的扱いが低いように思う。
オランダとイギリスの関係。
オランダとスペインの関係。
また、第一次世界対戦だが、直感的に
フランス・ドイツ戦争といった切り口で考えたい。
これは別途記述する。
ウィリアム3世という人物。
”画商たちの世界史”と題したが、
どうも小学校の世界史を、高校レベルに昇華したといった
願望がわたしにあるようだ。
それはそうと、上の関係を考える上で、
ウィリアム3世といった人物にぶつかった。
名誉革命時、オランダからむかえられた人である。
時系列的にいえば、オランダの方が先進的で、
イギリス産業革命は、次の世紀からスタートする。
”世界史の窓”によると、名誉革命以前は、
英蘭戦争時代ともいえる。
ピューリタン革命と平行して、対外的には
英蘭戦争状態だったのだろう。
この時代も、フランス19世紀とよく似ていて、
民主主義が鍛えられながら、対外的には
戦闘状態にあるように見える。
また、同時代として、ルイ14世の名前だけあげておこう。
このころのスペインがどういった状況か、帰結できないが、
もっとよい中心人物が浮かび上がるといいと思う。
とりあえず、ここでは”ウィリアム3世”の名前を記述しておく。
”歴史上重要な人物”
アンヌトードリッシュという王妃がいて、
ルイ13世の妻らしい。
ルイ14世がらみで見ていたら、
母がハプスブルク出身とあった。
このあたりは、血筋だ。
アンヌは、フェリペ3世の娘とあるので、
”フェリペ二世時代がスペイン絶頂期”
という法則をもちだして、
斜陽のフェリペ三世、娘をフランスにやる。
といった文脈がひきだせるだろう。
つまり、ヨーロッパの主導権が、
スペインからルイ14世へうつったじだい
ともいえそうだ。
ただ、17世紀は、英国で
二回の市民革命が生じる。これをどう説明できるか?
名誉革命は、オランダ総督(ウィレム3)
をむかえたが、これは、宗教的背景もあるようで、
ジェームス2世のカトリック政策に反対した、
政党が、オランダから王をむかえたという経緯もあるようだ。
オランダは新教、ネーデルラントはカソリックだろうか。
最初に戻れば、スペインから徐々に、ルイ14世の時代になる。
それは、オランダのスペインからの独立と一致するだろう。
17世紀を通して、英蘭戦争が繰り広げられたが、
名誉革命は、両者の統合も意味する。つまり、
対仏同盟とも見える。
オランダから見れば、スペインといった
カソリック国から独立したものの、
ルイ14世といった巨大な太陽と対峙し、
(フランドルをめぐる戦争があったはずだが)
仕方なく、オランダ・英が対仏同盟を結んだ
と考えられるかもしれない。
対仏同盟といえば、ナポレオンをさすが、
ルイ14世に対しても、対仏同盟が結ばれたのだといった
史観があっていいだろう。
もっとも、受験生は従来の正規の世界史を勉強した方がいいだろ。
山田氏のモナリザ回を見る。
モナリザがかかれたのが、1503年とあり、
シェイクスピアが16世紀の人だから、
英国とイタリアとどんな関係だったか考えたが、わからない。
ダビンチは、フランソワ一世にもつかえたと出てきて、
この王は、カール五世のライバルだったはずである。
また、シェイクスピアが生まれた年は、
カルバンが死に、ガリレオが生まれた年らしい。
だから、シェイクスピアの時代は、同時に、
科学の時代というか、おそらくガリレオの地動説と平行している。
カール五世というと、神聖ローマ帝国において、ルターが
宗教改革したという、ダイナミズムをわたしは持っている。
だから、このあたりは通説どおり、時代のかわりめで、
カソリック的世界から、ガリレオのような科学の時代、
あるいは、宗教改革時代といえるだろう。
エリザベス一世は、イギリス国教会をつくり
宗教改革した。(要確認)
しかし、あとから、ジェームス二世らが、
カソリックを部分的に保護したものだから、
1688年に、オランダ総督ウィレムがむかえられる。
そのころには、フェリペ3世以後の時代であり、
カソリック世界の旗手は、スペインからフランスに
移行したといえそうである。
”第一次世界大戦”
第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が撃たれたところから
はじまったか?
これは、ロシアの南下(ロシアは軍港がない)
とセルビア、オーストリアのボスニア支配?と関係あるらしい。
ボスニアの青年が反発したことになるが、
対立構造的に見れば、セルビアとボスニアの対立ではなかろうか。
このあたりは確認したい。
ここでは、第一次世界大戦は、世界大戦でなく
ドイツとフランスの戦争ではなかろうか
という私論である。
なぜなら、19世紀の、ナポレオン三世時代に
フランスはプロイセンに敗北している。
オーストリアとロシアの対立、
オーストリアとドイツは、もともと神聖ローマ帝国である、
普仏戦争戦争で負けていたフランスが、
ロシアと組んだのではなかろうか。
このあたりは、確認したい。イギリスの立ち位置も
確認だ。
つまり、劇的にというか、偶発的に世界大戦になったのではなく、
部分的な、普仏戦争の延長線上にこの戦争があったといえないだろうか。
大戦中に、ソ連が誕生するが、これは、19世紀を通して、
フランスではぐくまれた共産思想であり、そらが
現実国家となってしまった。
これは、ソ連が崩壊するまでつづくが、
ハイテクが発展した中国まで視野に入れれば、
現在の問題も、なんらかわらないといえるかもしれない。
つまり、解決されていないといえるかもし
絵画だけでなく、当時の情勢、世界史にも
注意してみよう。
ルイ・ナポレオン。
1848年の2月革命。
その後、ナポレオン三世となる。
ルイ・フィリップも存在するので、
混同しないようにしたい。ルイ・フィリップについては、
別途述べたい。
ナポレオン三世は、中国にも進出したそうだ。
時系列的には、1840年がアヘン戦争だから、
英国が清に進出しているのもわかる。
英国の方が、産業革命が早いが、
フランスも、18世紀末の革命をかわきりに、
英国を追いかけたのだろう。
ただ、ナポレオン三世も、普仏戦争に負けて
失脚する。
ナポレオン二世というのは出てこず、
彼は甥にあたるそうだ。
フランスの民主主義は、むしろ
19世紀を通して発展したといえそうだ。
第一次世界大戦についても、今後言及したい。
フェルメールの回を見たところだが、
オランダ絵画がどれだけ知られているだろうか。
オランダはどうも、世界史的扱いが低いように思う。
オランダとイギリスの関係。
オランダとスペインの関係。
また、第一次世界対戦だが、直感的に
フランス・ドイツ戦争といった切り口で考えたい。
これは別途記述する。
ウィリアム3世という人物。
”画商たちの世界史”と題したが、
どうも小学校の世界史を、高校レベルに昇華したといった
願望がわたしにあるようだ。
それはそうと、上の関係を考える上で、
ウィリアム3世といった人物にぶつかった。
名誉革命時、オランダからむかえられた人である。
時系列的にいえば、オランダの方が先進的で、
イギリス産業革命は、次の世紀からスタートする。
”世界史の窓”によると、名誉革命以前は、
英蘭戦争時代ともいえる。
ピューリタン革命と平行して、対外的には
英蘭戦争状態だったのだろう。
この時代も、フランス19世紀とよく似ていて、
民主主義が鍛えられながら、対外的には
戦闘状態にあるように見える。
また、同時代として、ルイ14世の名前だけあげておこう。
このころのスペインがどういった状況か、帰結できないが、
もっとよい中心人物が浮かび上がるといいと思う。
とりあえず、ここでは”ウィリアム3世”の名前を記述しておく。
”歴史上重要な人物”
アンヌトードリッシュという王妃がいて、
ルイ13世の妻らしい。
ルイ14世がらみで見ていたら、
母がハプスブルク出身とあった。
このあたりは、血筋だ。
アンヌは、フェリペ3世の娘とあるので、
”フェリペ二世時代がスペイン絶頂期”
という法則をもちだして、
斜陽のフェリペ三世、娘をフランスにやる。
といった文脈がひきだせるだろう。
つまり、ヨーロッパの主導権が、
スペインからルイ14世へうつったじだい
ともいえそうだ。
ただ、17世紀は、英国で
二回の市民革命が生じる。これをどう説明できるか?
名誉革命は、オランダ総督(ウィレム3)
をむかえたが、これは、宗教的背景もあるようで、
ジェームス2世のカトリック政策に反対した、
政党が、オランダから王をむかえたという経緯もあるようだ。
オランダは新教、ネーデルラントはカソリックだろうか。
最初に戻れば、スペインから徐々に、ルイ14世の時代になる。
それは、オランダのスペインからの独立と一致するだろう。
17世紀を通して、英蘭戦争が繰り広げられたが、
名誉革命は、両者の統合も意味する。つまり、
対仏同盟とも見える。
オランダから見れば、スペインといった
カソリック国から独立したものの、
ルイ14世といった巨大な太陽と対峙し、
(フランドルをめぐる戦争があったはずだが)
仕方なく、オランダ・英が対仏同盟を結んだ
と考えられるかもしれない。
対仏同盟といえば、ナポレオンをさすが、
ルイ14世に対しても、対仏同盟が結ばれたのだといった
史観があっていいだろう。
もっとも、受験生は従来の正規の世界史を勉強した方がいいだろ。
山田氏のモナリザ回を見る。
モナリザがかかれたのが、1503年とあり、
シェイクスピアが16世紀の人だから、
英国とイタリアとどんな関係だったか考えたが、わからない。
ダビンチは、フランソワ一世にもつかえたと出てきて、
この王は、カール五世のライバルだったはずである。
また、シェイクスピアが生まれた年は、
カルバンが死に、ガリレオが生まれた年らしい。
だから、シェイクスピアの時代は、同時に、
科学の時代というか、おそらくガリレオの地動説と平行している。
カール五世というと、神聖ローマ帝国において、ルターが
宗教改革したという、ダイナミズムをわたしは持っている。
だから、このあたりは通説どおり、時代のかわりめで、
カソリック的世界から、ガリレオのような科学の時代、
あるいは、宗教改革時代といえるだろう。
エリザベス一世は、イギリス国教会をつくり
宗教改革した。(要確認)
しかし、あとから、ジェームス二世らが、
カソリックを部分的に保護したものだから、
1688年に、オランダ総督ウィレムがむかえられる。
そのころには、フェリペ3世以後の時代であり、
カソリック世界の旗手は、スペインからフランスに
移行したといえそうである。
”第一次世界大戦”
第一次世界大戦は、オーストリア皇太子が撃たれたところから
はじまったか?
これは、ロシアの南下(ロシアは軍港がない)
とセルビア、オーストリアのボスニア支配?と関係あるらしい。
ボスニアの青年が反発したことになるが、
対立構造的に見れば、セルビアとボスニアの対立ではなかろうか。
このあたりは確認したい。
ここでは、第一次世界大戦は、世界大戦でなく
ドイツとフランスの戦争ではなかろうか
という私論である。
なぜなら、19世紀の、ナポレオン三世時代に
フランスはプロイセンに敗北している。
オーストリアとロシアの対立、
オーストリアとドイツは、もともと神聖ローマ帝国である、
普仏戦争戦争で負けていたフランスが、
ロシアと組んだのではなかろうか。
このあたりは、確認したい。イギリスの立ち位置も
確認だ。
つまり、劇的にというか、偶発的に世界大戦になったのではなく、
部分的な、普仏戦争の延長線上にこの戦争があったといえないだろうか。
大戦中に、ソ連が誕生するが、これは、19世紀を通して、
フランスではぐくまれた共産思想であり、そらが
現実国家となってしまった。
これは、ソ連が崩壊するまでつづくが、
ハイテクが発展した中国まで視野に入れれば、
現在の問題も、なんらかわらないといえるかもしれない。
つまり、解決されていないといえるかもし
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2022-02-11 14:43
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